2020年新聞は生き残れるか / 長谷川幸洋  

最近読んだ本。

2020年新聞は生き残れるか / 長谷川幸洋


著者は東京新聞論説副主幹の方。
たまたま本屋でタイトルに魅かれて手に取ってみました。
著者が仰る通り、確かに今の世の中での新聞の存在意義には疑問を感じます。
そうは言いつつ、私は毎日4紙を流し読みしていますが、
冷静に考えると読む理由はただの習慣でしかないような気がします。
あとは周囲と話題を共有するためですね。
要するに子供の頃、クラスの友人と昨日のテレビ番組の話をする感覚です。
深く突っ込んだ記事も無ければ、テレビやネットに比べて速報性も無い。
面白い記事なんて、せいぜい年に3回(しかも寄稿)くらいしかないですしね。
記者クラブで情報を貰ってそれを記事にするだけで、どの新聞も横並びな内容。
しかも復興予算の流用スクープを最初に報じたのは、新聞ではなく週刊ポスト。
ジャーナリズムというものを追求しなければ、私より下の世代の方達には相手にされないように感じます。


【本書より】

政治的な横並び報道はどの国でも同じなのだろうか。
実は、そうでもない。
アメリカでは、国際報道で知られたCNNがここ10年ほど、
保守的なFOXとリベラルなMSNBCに押されて視聴率競争で負けている状況がある。
早稲田大学教授の若田部昌澄は、「視聴者が見たいと思う放送局を選ぶ傾向が強まっている」と言う。
つまり保守的な人はFOXを、リベラルな人はMSNBCを好んで見ると言うように、
視聴者が自分の色に合ったメディアを選ぶ。
その結果、何が起きているか。
メディアが視聴者の好みに合わせて立場をはっきりさせるようになった。
同じ一つのメディアが多様な意見を報じるのではなく、
立場のはっきりした複数のメディアが競争し合うことによって、
全体として多様性を確保する。
そんな状況が生まれつつある。
メディア間の競争が多様性を保障しているのである。

映像メディアは目の前で展開していく事態をそのまま報じるのは得意だし、スキルにも長けている。
だが、そこから一歩引いて、その奥にある問題点を解き明かしていく力量はまだ十分とは言えない。
本当に必要だったのは、たとえば議論から出た材料を基に、
無駄や非効率の多い予算がなぜ毎年、生み出されてきたのか、
その病理や構造をあきらかにしていく作業だったのではないか。

政府や地方自治体、電力会社などが所有する情報を生の数値データで公表した。
するとヤフーのような企業が情報をわかりやすく二次加工して人々に提供し始めた。
人々はそれを見て、自分たちの電力使用を考えたり、放射線汚染を避ける工夫をするようになった。
これはメディアとかジャーナリズムの原点に迫る出来事ではないだろうか。

先に紹介した米国のRecovery.govは、
限定的ではあるが「税金がどこで誰にいくら使われたか」をネット上で示す試みだった。
同じように、日本の政府予算全体を透明化する試みも必要だ。
複雑であるからこそ、クリック一つで簡単に情報を飛び歩けるネットという媒体が適しているのではないか。
整理されて提示された公共情報は、無駄と非効率の排除を促して政府の効率化につながるだけでなく、
新たなビジネスにつながる可能性も秘めている。
ともすれば「ジャーナリズムは金儲けではない」と思われがちだが、
ビジネスの観点からジャーナリズムを見直すのは重要だ。

ずばり言えば「ポチの特ダネ」はもういい。
発表になってから報じてくれれば十分だから、
もっと公開情報を分析して、いろんな視点から「いま起きていること」を伝えてほしい。
そういう話である。
まさしくそれが「週刊ポスト」が火を点けた復興予算の流用スクープであり、データジャーナリズムの胎動だった。

「取材相手に信頼される記者になれ」と言う幹部やベテラン記者たちは、根本からそこを勘違いしている。
そういう能書きを垂れるベテラン記者たちはみんな、
自分たちが「取材相手、すなわち官僚や政治家、警察官、
検事たちから信頼されたから立派な記者になった」と思っているのだ。
実は、「立派なポチだった」だけなのかもしれないのに。



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