サピエンス全史(上・下) 文明の構造と人類の幸福  

サピエンス全史(上・下) 文明の構造と人類の幸福


初期の人類がどのように狩猟採集生活から発展し、
今日の社会や経済を組織したのかを読み解き、
新化と文明の歴史を幸福の視点から問い直した本。


【本書より】

仏教によれば、苦しみの根源は苦痛の感情でも、
悲しみの感情でもなければ、無意味さの感情でさえないという。
むしろ苦しみの真の根源は、束の間の感情をこのように果てしなく、
空しく求め続けることなのだ。
そして感情を追い求めれば、私たちはつねに緊張し、
混乱し、不満を抱くことになる。
この追及のせいで、心はけっして満たされることはない。
喜びを経験してるときにさえ、心は満足できない。
なぜなら心は、この感情がすぐに消えてしまうことを恐れると同時に、
この感情が持続し、強まることを渇愛するからだ。

感情の追及をやめると、心は緊張が解け、澄み渡り、満足する。
喜びや怒り、退屈、情欲など、
ありとあらゆる感情が現れては消えることを繰り返すが、
特定の感情を渇愛するのをやめさえすれば、
どんな感情もあるがままに受け容れられるようになる。
ああだったかもしれない、こうだったかもしれないなどという空想をやめて、
今この瞬間を生きることができるようになるのだ。



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ビジネスエリートの新論語 / 司馬遼太郎  

ビジネスエリートの新論語 / 司馬遼太郎


昭和30年にサラリーマン時代の司馬さんが本名で発行した著書。
今月号の文芸春秋に一部掲載されていて、面白そうだったので購入しました。


【本書より】

サラリーマンの人生の成不成功は、退勤後の人生をどう構成するかにかかってくる。
絵や彫刻をするもよく、盆栽をいじるのもいい。
もしそれが好きなら考古学の研究をしたっていいし、熱帯魚の飼育も面白かろう。
いちばんバカげているのは、徒党を組んで飲み屋へゆき、
上役の悪口や同僚のタナ卸し、サラリーの上がりそこねた話に浮身をやつしている手合だ。
たんなる不協和音にすぎまい。

「人間、おのれのペースを悟ることが肝心や」
この人の人生観である。
名記者になるやつはなるやつの、出世するやつは出世するやつのペースというものがもともとある。
ところがオレはそのどちらでもない。
オレはオレらしく実直な腰弁の人生を歩こうと覚悟したというのである。
「ペースを悟ったら、崩さず迷わず一生守りきることが大事でんな」



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国家は破綻する――金融危機の800年 / Carmen M.Reinhart , Kenneth S.Rogoff  

国家は破綻する――金融危機の800年 / Carmen M.Reinhart , Kenneth S.Rogoff


2013年に本書の内容にミスがあり、本書の結論の大きな部分が間違いとなり、
著者が謝罪するという騒ぎがありましたが、
金融800年の歴史を数字と史実でかためて論証していくという点では読み応えがあります。
588ページの辞書みたいな分厚い本ですが、
専門用語は少なめなので、一般ビジネスマンにも読みやすくなっています。


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チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷 / 塩野七生  

チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷 / 塩野七生


ニコロ・マキアヴェッリが書いた、
近代政治学の古典『君主論』のモデルになった、
チェーザレ・ボルジアの生涯を描いた本。


【本書より】

ただ彼は、血で手を汚すならば、
かえって身体全体をそれにひたしてしまう方を選ぶ男の一人だった。

歴史上、これほどに才能の質の違う天才が行き会い、
互いの才能を生かして協力する例は、なかなか見出せるものではない。
レオナルドは思考の巨人であり、チェーザレは行動の天才である。
レオナルドが、現実の彼岸を悠々と歩む型の人間であるのに反して、
チェーザレは、現実の河に馬を昂然と乗り入れる型の人間である。
ただこの二人には、その精神の根底において共通したものがあった。
自負心である。
彼らは、自己の感覚に合わないものは、
そして自己が必要としないものは絶対に受け入れない。
この自己を絶対視する精神は、完全な自由に通ずる。
宗教からも、倫理道徳からも、彼らは自由である。
ただ、窮極的にはニヒリズムに通ずるこの精神を、
その極限で維持し、しかも、積極的にそれを生きていくためには、
強烈な意志の力をもたねばならない。
二人にはそれがあった。

チェーザレのような男に、
一度与えた屈辱を忘れさせようとするのはひどくむずかしい。
父の法王アレッサンドロ六世は、許すという得を知っていたし、
時にはそれが有効であることも知っていた。
しかし、このヴァレンティーノ公爵は、
他のすべてのことでは有効性にもとづいて行動することは知っていたが、
屈辱を受けた時は別だった。
法王は、何でも言いたい放題に噂されても平気でいられた。
しかし、息子のチェーザレは、言葉だけではなく、
それを産む頭脳までも消してしまわねばいられない男だった。

しかし、イタリアの統一は、
チェーザレにとっては使命感からくる悲願ではない。
あくまでも彼にとっては、野望である。
チェーザレは、使命感などという、弱者にとっての武器、
というより寄りどころを必要としない男であった。
マキアヴェッリの理想は、チェーザレのこの野望と一致したのである。
人々のやたらと口にする使命感を、
人間の本性に向けられた鋭い現実的直視から信じなかったマキアヴェッリは、
使命感よりもいっそう信頼できるものとして、人間の野望を信じたのである。



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天才たちの誤算 / ロジャー・ローウェンスタイン  

天才たちの誤算 / ロジャー・ローウェンスタイン


LTCM破綻劇を描いたノンフィクション。
まるで著者がその場を見てきたかのような臨場感に溢れています。
関係者への丹念なインタビューと内部資料を通じて、
人物ひとりひとりの役割に光を当て、ロングタームの栄光と転落の道のりを描き出しています。
特に頂点まで登りつめた男たちが転落していく数週間の攻防は圧巻。
当時のウォール街の緊張感が上手く描写されています。
デリバティブ取引の複雑な仕組みを、身近な比喩を用いて、
専門用語に頼らずに説明しているので、誰にでも入り込みやすい内容になっています。


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文明が衰亡するとき / 高坂正堯  

文明が衰亡するとき / 高坂正堯


栄華を極めた強国が衰退する過程が詳しく検証されています。
題材は古代ローマ、中世の通商国家ヴェネチア、そして第二次大戦後のアメリカ。
衰亡の原因には多くの共通項があることを指摘した文明論。
1981年に書かれた本ですが、この30年の状況と比較して読むと唸らされます。
古臭さを感じさせない流石の名著。


本書より】

そのセネカは、幸福な生にいたる最大の手段は倫理的な高貴にあると考えた。
富、権力、高位、快楽といったものは気紛れな運命の女神の支配するものであり、
それにとらわれていては運命への奴隷的従属の生活を送ることになる。
したがって、人間のなかにある内的理性に従って生きることこそ、
富や権力などの偶然的で不安定なものから自由になる道であり、それから自由になった時に始めて、
正しい善の観念に基づく正しい善なる行為、すなわち徳が可能となるというのであった。

しかし、芸術や文学は、流行し、多くの人を対象とするようになると、
質的に低下するところがあるらしい。
やがて、人々をいかにして集めるかが問題となってくる。
朗読会があちらでもこちらでも開かれるようになると、人々は捲き、
お義理で出席するような人が出てくるからである。

くじ五回、選挙四回で選挙人が選ばれ、その人々が元首を選んだのである。
何故、これほど面倒な手続きを作ったのかと首を傾ける人がほとんどであろう。
最終的には選挙によるのであれば、くじを用いる必要はないではないかという批評がありえよう。
しかし、くじを用いたところに、いかにもヴェネツィア人らしい特徴が出ていると私は思う。
それは事前工作をほとんど不可能にする。
くじで選ぶということはアトランダムな過程であるから、それを五回もおこなう以上、
だれに工作しておけばよいか判らないであろう。
しかも、くじだけではなく選挙が入る。
それをまたくじでふるい落とす。
こうして同僚の支持と運との両関門を数回通過した人間というものは、
どのようにアトランダムに選んでも出てくるような信頼できる人間であっただろう。
そうした人物が元首選挙人となったのである。
したがってその場の雰囲気によって、
ダークホース的な人物が元首に選ばれるということはまずありえない制度であったと言えよう。



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バガボンド 37巻  

バガボンド 37巻


【本書より】

腕はないと思って振ってください

自分の体とは違うものを持っているから
放しちゃいけないと力いっぱい握る

腕は真面目でがんばり屋
欠点は一人でがんばりすぎること
脚や腹や腰やヘソ
ほかの連中をすぐ忘れる
だから時々腕はないと思って振る



私はゴルフをやっていまして、自分自身がスイングの際に気を付けてる事がそのまま載っていました。
最初はお付き合いの一つとして覚えておいた方が良いなと始めたのですが、
意外とハマってしまい一生懸命練習した時期があったのです。
調子の良い時は脚やヘソで振れて、自分が振り子になれる感覚がある。
調子の悪い時は重心移動がスムーズに行えなく右にしっかりのれない。

伊織が練習に疲れて腕が上がらなくなり、そこから何かを掴むシーンがありましたが、
自分も同じ体験をしたことがあります。
ラウンド後、日が暮れるまでゴルフ場で練習していた時の事です。
力み過ぎて疲れて腕も上がらなくなり手も豆だらけ。
さんざん練習したのに上手くいかず、むしろ悪くなる一方。
残りは20球くらいでしょうか。
諦めて残りの球を打ったら帰ろうと思い、
だらんと構えて腕も上げずグリップに力も入れず適当に振りました。
その時に初めて振り子の感覚が体験出来たのです。

今までのスイングは腕から始動していて、それが全くの間違いだと気づきました。
大事なことはリラックスした状態で、いかに自然に構えることができるかということ。
力が入っていると自然に構えることが出来ないんですね。
その状態で初めて肩から始動でき、右にしっかり重心移動ができ体全体で振れるようになる。
体が消しゴムの様にネジれて、自然に戻る感覚が出てくる。
正しい構えでスタンスを取れると、クラブがレールに乗ってるような感じで正確な軌道に乗り、
飛距離も安定して曲がりません。
そして腕を使ってる感覚はないんですよね。
腕はただ付いていて、レールの上をただなぞるだけのような。
ある歴史小説家がプロゴルファーの青木功氏を昔の剣豪に例えましたが、
剣もクラブも同じく棒を振る作業なので、共通点があるのかなと感じます。


Posted on 19:07 [edit]

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2020年新聞は生き残れるか / 長谷川幸洋  

最近読んだ本。

2020年新聞は生き残れるか / 長谷川幸洋


著者は東京新聞論説副主幹の方。
たまたま本屋でタイトルに魅かれて手に取ってみました。
著者が仰る通り、確かに今の世の中での新聞の存在意義には疑問を感じます。
そうは言いつつ、私は毎日4紙を流し読みしていますが、
冷静に考えると読む理由はただの習慣でしかないような気がします。
あとは周囲と話題を共有するためですね。
要するに子供の頃、クラスの友人と昨日のテレビ番組の話をする感覚です。
深く突っ込んだ記事も無ければ、テレビやネットに比べて速報性も無い。
面白い記事なんて、せいぜい年に3回(しかも寄稿)くらいしかないですしね。
記者クラブで情報を貰ってそれを記事にするだけで、どの新聞も横並びな内容。
しかも復興予算の流用スクープを最初に報じたのは、新聞ではなく週刊ポスト。
ジャーナリズムというものを追求しなければ、私より下の世代の方達には相手にされないように感じます。


【本書より】

政治的な横並び報道はどの国でも同じなのだろうか。
実は、そうでもない。
アメリカでは、国際報道で知られたCNNがここ10年ほど、
保守的なFOXとリベラルなMSNBCに押されて視聴率競争で負けている状況がある。
早稲田大学教授の若田部昌澄は、「視聴者が見たいと思う放送局を選ぶ傾向が強まっている」と言う。
つまり保守的な人はFOXを、リベラルな人はMSNBCを好んで見ると言うように、
視聴者が自分の色に合ったメディアを選ぶ。
その結果、何が起きているか。
メディアが視聴者の好みに合わせて立場をはっきりさせるようになった。
同じ一つのメディアが多様な意見を報じるのではなく、
立場のはっきりした複数のメディアが競争し合うことによって、
全体として多様性を確保する。
そんな状況が生まれつつある。
メディア間の競争が多様性を保障しているのである。

映像メディアは目の前で展開していく事態をそのまま報じるのは得意だし、スキルにも長けている。
だが、そこから一歩引いて、その奥にある問題点を解き明かしていく力量はまだ十分とは言えない。
本当に必要だったのは、たとえば議論から出た材料を基に、
無駄や非効率の多い予算がなぜ毎年、生み出されてきたのか、
その病理や構造をあきらかにしていく作業だったのではないか。

政府や地方自治体、電力会社などが所有する情報を生の数値データで公表した。
するとヤフーのような企業が情報をわかりやすく二次加工して人々に提供し始めた。
人々はそれを見て、自分たちの電力使用を考えたり、放射線汚染を避ける工夫をするようになった。
これはメディアとかジャーナリズムの原点に迫る出来事ではないだろうか。

先に紹介した米国のRecovery.govは、
限定的ではあるが「税金がどこで誰にいくら使われたか」をネット上で示す試みだった。
同じように、日本の政府予算全体を透明化する試みも必要だ。
複雑であるからこそ、クリック一つで簡単に情報を飛び歩けるネットという媒体が適しているのではないか。
整理されて提示された公共情報は、無駄と非効率の排除を促して政府の効率化につながるだけでなく、
新たなビジネスにつながる可能性も秘めている。
ともすれば「ジャーナリズムは金儲けではない」と思われがちだが、
ビジネスの観点からジャーナリズムを見直すのは重要だ。

ずばり言えば「ポチの特ダネ」はもういい。
発表になってから報じてくれれば十分だから、
もっと公開情報を分析して、いろんな視点から「いま起きていること」を伝えてほしい。
そういう話である。
まさしくそれが「週刊ポスト」が火を点けた復興予算の流用スクープであり、データジャーナリズムの胎動だった。

「取材相手に信頼される記者になれ」と言う幹部やベテラン記者たちは、根本からそこを勘違いしている。
そういう能書きを垂れるベテラン記者たちはみんな、
自分たちが「取材相手、すなわち官僚や政治家、警察官、
検事たちから信頼されたから立派な記者になった」と思っているのだ。
実は、「立派なポチだった」だけなのかもしれないのに。



Posted on 23:12 [edit]

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2052 今後40年のグローバル予測 / ヨルゲン・ランダース  

最近読んだ本。


2052 今後40年のグローバル予測 / ヨルゲン・ランダース


以前、日経ビジネスにヨルゲン・ランダース氏のインタビューが掲載されていて、
興味深いことをおっしゃっていたので読んでみようかと。
40年後の世界が描かれているのですが、簡単にまとめると以下のようになります。

●都市化が進み、出生率が急激に低下するなかで、
 世界の人口は予想より早く2040年直後にピーク(81億人)となり、その後は減少する。
●経済の成熟、社会不安の高まり、異常気象によるダメージなどから、生産性の伸びも鈍化する。
●人口増加の鈍化と生産性向上の鈍化から、世界のGDPは予想より低い成長となる。
 それでも2050年には現状の2.2倍になる。
●資源枯渇、汚染、気候変動、生態系の損失、不公平といった問題を解決するために、
 GDPのより多くの部分を投資に回す必要が生じる。
 このため世界の消費は、2045年をピークに減少する。
●資源と気候の問題は、2052年までは壊滅的なものにはならない。
 しかし21世紀半ば頃には、歯止めの利かない気候変動に人類は大いに苦しむことになる。
●資本主義と民主主義は本来短期志向であり、
 ゆえに長期的な幸せを築くための合意がなかなか得られず、手遅れになる。
●以上の影響は、米国、米国を除くOECD加盟国(EU、日本、カナダ、その他大半の先進国)、
 中国、BRISE(ブラジル、ロシア、インド、南アフリカ、その他新興大国10カ国)、
 残りの地域(所得面で最下層の21億人)で大きく異なる。
●予想外の敗者は現在の経済大国、なかでもアメリカ(次世代で1人当たりの消費が停滞する)。
 勝者は中国。BRISEはまずまずの発展を見せるが、残りの地域は貧しさから抜け出せない。


グローバル予測ということで、長期投資に役立つ内容かと思われますが、
環境問題がメインの本。
世界経済や科学技術についての具体的な記述については少々乏しい印象です。
悲観的な内容が多いですが、過去には大きな事が起きても軌道修正して違う方向に進むことも多いので、
このとおりに事が進むとはなかなか考えにくいかと。
特に中国の覇権とか。
ただ日本の置かれている少子高齢化による人口減少とGDPの成長限界、
そして幸福感の問題が、40年後の世界中の問題になる可能性は、
現状では否定できないのかなと感じました。


Posted on 21:24 [edit]

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わが友マキアヴェッリ ~フィレンツェ存亡~ / 塩野七生  

最近読んだ本。

わが友マキアヴェッリ ~フィレンツェ存亡~ / 塩野七生


近代政治学の古典『君主論』の著者、ニコロ・マキアヴェッリを通して、フィレンツェの興亡が語られています。
ノンキャリアの人間味あふれる官僚。
読みやすくてとても面白かったです。
君主論のモデルになったチェーザレ・ボルジアの本も読んでみようと思います。



【本書より】

ナポレオンは、同程度の才能を持つ将軍が二人いれば、運の強いほうを登用したそうだが、
人間がなにかをしようとする場合、いかに優れていても才能だけでは十分ではなく、
運というものが大きくものを言うことを理解している者は、マイノリティにすぎない。
しかし、マジョリティも、人間心理のごく自然な発露としても、
運の強い者を好む傾向は共有しているのである。

マキアヴェッリは、後年、自前の軍事力をもつことを主張する。
自分たちの国の運命を他国の軍事力に頼ってはならないと、執拗に主張する。

チェーザレ・ボルジアの急激な崩壊を見た後も、マキアヴェッリは、
こう思うのをやめなかったのではないだろうか。
『公爵は死んだ。だが、考えとやり方はあれでいいのだ。
公爵の失脚は、人間技ではとうてい越えられないほどの大きな不運によったのだから、
それで彼のすべてを否定するのはまちがいだ。
人は死んでも、その人の考えたことと、それを実行に移したやり方は残る』

人間というものは、自分を守ってくれなかったり、
誤りを正す力もない者に対して、忠誠であることはできない。

彼は、一度たりとも、あるひとつの政体を選ぶべきだと主張したことはない。
彼にとっては、王政でも貴族政でも民主政でもかまわないのである。
民族はそれぞれ、自分たちに適した政体を選ぶべきだと信じていたからである。

誰でも人は、自らのファンタジアによって行動するものです。
……他人に忠告を与えるな。また、一般的なこと以外は他人からの忠告を容れるな。
人はそれぞれ、自分の心と意思にしたがって生きるしかありません。



Posted on 19:19 [edit]

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